02 4歳で生まれ故郷を離れて
03 男としての自分に抱く嫌悪感
04 男の子なのか女の子なのか
05 少しずつ少しずつ社会に触れて
==================(後編)========================
06 男女の区分けは必要なのか
07 セクシュアル・マイノリティの自覚
08 性別を超えて好きなだけ
09 北海道から遠く離れてみて
10 自分に素直に肩の力を抜いて
06男女の区分けは必要なのか
校則への反発
釧路の聾学校中等部を卒業し、親元を離れて、札幌にある高等聾学校に進学した。
まず困惑したのが、寮生活でのことだ。
「高校生という多感な時期だから仕方がないのかもしれませんが、寮が殊更、男女を強調するところに違和感を抱きました。棟を男女別に分けなければならない理由は、寮生活が始まって、理解できました。ただ男女が交流できる時間を制限していることには、全く納得がいかなくて」
男子棟と女子棟の間に食堂があって、寮生活を送る学生は、19時までなら男女の隔てなく、おしゃべりしたり、遊んだりすることができた。
逆にそれ以降の時間の交流は禁止、と校則では決まっていた。
「同性同士で一緒にいるのは、消灯時間の11時まで大丈夫なのに、異性とはどうして駄目なんだろう、って真剣に悩みました。けれど僕が不可解に思うこのルールを、他の学生たちは当たり前のように守っていて」
「おそらく校則を決めた先生たちも、男女間の不純異性交遊がないようにとの配慮なんでしょうけど、そんなことは同性同士でも起こり得ることなんじゃないか、と本気で憤っていました」
同姓への嫌悪感
また男子寮で繰り広げられる会話にも、うまく付いていくことができなかった。
「女子がいないから堂々と『あの子がかわいい』『あの子は胸が大きい』なんて話をしているんですが、そういう考えが全く理解できませんでした。僕は学校で女子を見るときに、かわいいとか胸が大きいとか、そんなことを一切、気にしたことがありませんでしたから。自分以外の男子の同級生は、そんなところに着目するんだ、と驚いたくらいです」
その年頃の男子が、異性に抱くような興味や性的興奮。
人に関心がないわけではないけれど、どこを魅力的に感じるか、そこが周りの人と大きくずれていると感じた。
07セクシュアル・マイノリティの自覚
先輩が好き
そんなとき、2つ歳上の男性、同じ学校の3年生の先輩を好きになった。
「バスケットボール部とサッカー部に所属してスポーツ万能、生徒会活動も頑張っていて友達が多く、とにかく目立つ人でした。みんなにとって、憧れの先輩といっても過言ではない人です」
「仲良く話すようになったきっかけは、寮の掃除当番が一緒になったこと。その後も、たとえば夕食のときにデザートをくれたり、休日、僕が退屈にしていると、話し相手になってくれたり。憧れの先輩が親切にしてくれるから、なんだかぽーっと舞い上がっちゃって。いつも一緒にいたくてたまらない、その先輩のことばかり考えていました」
しかしそうやって慕っていた先輩に、彼女ができた。
その事実を突きつけられて、気づいたこともあるという。
「とにかく悔しい、と思いました。いつも先輩と一緒に居られる、その彼女が羨ましいとも。嫉妬の感情が芽生えたことで、自分は先輩に恋をしていたんだ、と逆に気づかされたんです」
同士の存在
もうひとつ、この恋愛を通して気づいたことがある。
自分と同じようなセクシュアルマイノリティの同級生が存在していることが分ったのだ。
「同級生の男子で、仕草が女性っぽい人がいたんです。なんとなく彼にだったら、先輩への恋心を理解してもらえるんじゃないかと思ったんです。恋愛の相談をするのは初めてでしたが、彼は根気よく僕の話に付き合ってくれました」
「そのときは言われなかったけれど、高校を卒業した後に本人から聞いたんです。彼もLGBTとして悩んでいたのだと」
結局、憧れの先輩は、そのまま卒業してしまった。
在校中は、思いを告げられないままだった。
「でもある日、思い立ってメールで、卒業した先輩に告白してみたんです。気持ちだけは伝えておきたくて。結果は断られて、フラれてしまったけれど、『これからもいい友達でいような』と言ってくれたんです。その返事だけで、僕にはもう十分でした」
08性別を超えて好きなだけ
並列する思い
高校時代、男性の先輩に憧れながら、実は同じ部活の女性の先輩からも告白を受けていた。
「美術部に入っていたんですが、そこで部長をしていた女の先輩に付き合おうと言われたんです。しっかりもので、うまく部活をまとめている先輩に尊敬の気持ちがあったので、男の先輩に憧れながらも、告白を受け入れることにしました」
一方で男性を求めながら、一方で女性にも惹かれる。
自分の中にある二面性に疑問を抱いても不思議ではないが、当時からそうは思わなかった。
「幼稚園のときにも、男女どちらにも恋心を抱きました。小学生のときに男女の恋愛ドラマを観て、自分の感覚はおかしいのかな、とも思いましたが、でも人は人、自分は自分、と受け入れることにしました」
「僕は相手が男性だから、女性だから好きなのではなく、面白さ、賢さ、ユーモア、強さ、しなやかさ、とにかくその人の持つ魅力に惹かれるから、恋をするんです」
恋の終わり
その後、美術部の先輩との恋はどうなったのだろう。
「生徒会や部活では調整役を買って出て頑張っているのに、どこか性格にヌケているところもあって。そんな両極を持ち合わせたところが好きでした。漫画やテレビの話をしても気が合うし、考え方も似ていて、一緒にいて心地よかったんです」
「あと感受性の優れた人で、僕の同級生に自分がトランスジェンダーか否か悩んでいる人がいたんですが、彼の苦悩に誰よりも先に気づいて、性同一性障害、という病気の存在を教えてあげていた。彼はその後、自らの性を自認できるようになり、社会的にカミングアウトできるようにまで立ち直れたんです」
活発で利口な先輩と、ただ一緒にいられれば、それで良かった。
しかし相手は、それ以上のものを求めてきた。
「僕は先輩と一緒にいられたら、それだけで十分だったんです。でも先輩にしたら、やっぱり僕とキスもしたければ、それ以上の関係にも進みたい。男女の付き合いを求められたんです。求められる度に、僕は戸惑いました」
「昔からあった違和感、自分が男性であると言われてもしっくりこないし、女性であるといわれても首を縦に振ることができない。そんな状態だから、男女の関係を求められても、どう振る舞えばいいか分らなかったんです」
「だんだん気持ちが通じ合わなくなって。その状況に先輩の方が耐えられなくなって、別れを告げられました」
パンセクシュアルやXジェンダー、MTXといった言葉を知った今なら、うまく先輩に自分の状況や気持ちを伝えることもできただろう。
お互いを傷つけ合わずに別れることも可能だったかもしれない。
しかしまだ、ふたりとも幼すぎたのだ。
09北海道から遠く離れてみて
性の強要がない
高校卒業後は、北海道を離れて、筑波技術大学に進学することに決めた。
聴覚・視覚に障がいを持つ人が学ぶ、4年制の国立大学だ。
「ずっと北海道だったから、それ以外の世界を見てみたい、と思ったんです。家族も僕の挑戦を後押ししてくれました。やっぱり大きな一歩を踏み出せたのは、中学生のときに投げかけられた母の言葉によるところが大きい」
「『人間は目と耳と鼻と口と手と足があれば、どこにでも行ける』という言葉に後押しされました」
大学に入学してみて感じたのが、性別を押し付けられない、ということだ。
「男らしい服装を強要されることもなく、授業が男女別なんてこともない。今までの人生の中で、性の強要に遭遇して苦しめられたことが多かったので、大学生の今が一番、過ごしやすいです」
健聴者との交わり
総合デザイン学科で環境デザインを専攻する傍ら、挑戦していることがある。
アルバイトだ。
「ずっと聾学校で育ち、いまも大学のクラスメイトは聾の人だけなので、外部の健聴者の人たちと関わらないでおこうと思えば、それも可能です。でもぜっかく親元、北海道を離れたんだから、もっと冒険してみたい。今は喫茶店でアルバイトしています」
最近では雇う側、店の側も、障がい者をアルバイトとして受け入れる体制を整えている場合が多いという。
「初めてのアルバイト面接で居酒屋に受かったときは、耳が聞こえにくくてもできる作業をと思われたのか、洗い場の担当でした。初出勤したら店長に『耳が聞こえにくいから、皿洗いね』と言われて。お客さん、健聴者の人とコミュニケーションしたくて、ホールスタッフを希望したのに、ずっとシンクの前で機械を相手に仕事」
「なんのために働いているのか分らなくなって、そのバイトは3ヶ月で辞めてしまいました」
その後、受け入れてもらったのが今の喫茶店だ。
「ウエイターとして働いています。バイトに受かったときは本当に嬉しかったです。どうしてもお客さんとコミュニケーションできる仕事に就きたかったから。もちろん初日から意思疎通の難しさに直面して、今でも戸惑うことが多いです。でも店員同士のコミュニケーションは口話の読み取りや、身振り、指差しで。お客さん対しては自分で作った接客カードを見せて、注文を受けています」
「同僚が親切なので、接客に困っていると、すぐに駆けつけて助けてくれます。今までほぼ聾の人としか関わってこなかったから、今は健聴者の人たちと接する楽しさを痛感しています」
アルバイトに励むのには、他にも理由がある。
「実は旅費を貯めたいと思っているんです」
「「今、一番の関心事が海外旅行で。最近、初めての海外、台湾に行ったのですが、日本で日本人とコミュニケーションを取るのさえ障壁がある私が、なぜか台湾ではうまく意思疎通ができて。ほとんで身振り手振りと漢字の筆談で伝わったのが、嬉しかったんです」
「自分がどこまでコミュニケーションをとれるのか、また海外に出かけて試してみたい。そのためにアルバイトも頑張って、旅費を貯めたいと思っています」
10自分に素直に肩の力を抜いて
カミングアウト
まだ20歳ながらも自らがMTXでパンセクシュアルであると気づいたが、周囲や両親には特別に気負って、カミングアウトはしていない。
「多分、母は勘付いているんじゃないでしょうか。僕が小さい頃、シルバニアファミリーで遊んだり、ままごとを楽しそうにしているのを観ていましたから。で、理解していて、認めてくれているような気がしています。『人の趣味や個性は尊重するべき』みたいな考え方をする人ですから」
「近況をメールで伝えても、最近は『身体だけには気をつけてね』としか返信はないけど、いつか面と向かって自分の性の話をしたい、と思っています。父も母と似たような考えをするところがあるから、きっと分かってくれると思います」
大学の同級生には、なんとなく伝えている。
高校の同級生にも、そんな感じだ。
「この間、高校の同窓会があったんで、自分の性の話をしてみました。やっぱりそうだったんだ、なんとなく分っていたよ、というのが皆の反応でした」
これからも自分に素直に、けれど決して力まずに歩もうと考えている。
自分の存在を伝えたい
最近、大学外でLGBT団体を立ち上げた。
「当事者として、聾でLGBTに悩んでいる人の支援をしたいと考えています。活動内容は、まだまだ模索中ですが、自分の今までの苦悩、それをどうやって解決してきたかを、聾のLGBT当事者に伝えて、問題解決の糸口にしてもらえれば、と・・・・・・」
「今はLINEのように視覚で気軽に伝えられるメディアが多数存在するので、聾であることも、そんなにハンデキャップにならない時代です。聾のLGBTの人を集めて交流会を開催したり、少しずつ活動を広げていければ、と思っています」
自分が難聴者であることをそれほどハンデとは思わず、前に進んでいく確かな力を持っている。それは母の言葉、そして見守ってくれた人たちの温かな思いが培ってくれた、佐藤さんの大きな武器だ。その気持ちの強さで、聾だけではなく、より多くのLGBTERの人生に光を当てる。佐藤さんになら可能なことだろう。