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パートナーとの結婚、母親との絶縁。FTMでも自分の人生を生きる【後編】

パートナーとの結婚、母親との絶縁。FTMでも自分の人生を生きる【前編】はこちら

2020/03/28/Sat
Photo : Rina Kawabata Text : Koharu Dosaka
田口 真由美 / Mayumi Taguchi

1976年、神奈川県生まれ。女の子として生を受けるが、男尊女卑思想の強い母から「女であること」を強く否定されて育つ。小学生の頃に書道と中国語に出会い、高校・大学時代を通して本格的に勉強。その経験を活かし、専門学校や中高の教員を経て、現在は日本語学校で留学生に日本語を教える。20代半ばで結婚し、今年で結婚18周年を迎える。

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INDEX
01 男の子に生まれたかった
02 「女の子なんだから」
03 叶わぬ願い、届かぬ思い
04 未来に見出した希望
05 高校で感じた世界の広がり
==================(後編)========================
06 自分らしさへの回帰
07 「FTM」の存在を知る
08 やっと手に入れた夫は “バディ”
09 教員としての使命
10 「私は私」と言える人生に

06自分らしさへの回帰

一つ目の夢の実現

高校卒業後はすぐに中国に渡り、北京外国語大学に本科生として入学。

大学で書道を本格的に学びながら、日本語を教えるアルバイトに精を出した。

「中国にいるときは、自分が女の子だって意識することも少なくて、すごく楽でした」

「女性が強い国なので、日本よりも男女平等の空気があって。居心地がよかったんです」

「中国人の友だちもたくさんできて、楽しかったですね」

充実した日々を過ごしたが、日本で教員になるという夢も、やはり捨てられない。

「現地で日本語を教えるアルバイトをするうちに、その気持ちがますます強くなりました」

やむなく1年で中退し、教員免許取得のために日本の大学に入り直すことを決める。

「お母さんには『もったいない!』って怒られたけど、私は後悔していません」

「中国で書道を勉強する夢も、教員になる夢も最終的には叶えられたし。遠回りだったとは思ってないんです」

初めて叶った「自分らしい装い」

「日本では、中国語と書道を専門にできて、教員免許が取れる大学に入りました」

大学では書道漬けの日々。
教授が営む書道教室の弟子になり、いつも尊敬する先生のそばにいた。

「芸術家って中性的な人が多いのかも。書道の先生も、男だけど物腰が柔らかくて、私とは逆な感じ」

「私も中性的で、物事をいろんな方面から見る性格だから、書道が上手になれたのかもって思ったり」

「そうやってプラスに考えないと、やっていけないからね(笑)」

私服でメンズライクなスーツを着るようになったのも、この頃だった。

「おしゃれもメイクもわからないし、女を装うのも面倒くさくて」

「スーツなら体のラインも隠せるし、どんな場面でも失礼にはならない。コーディネートも楽(笑)」

「だから大学時代からずっと、どこへ行くにもスーツです」

子どもの頃は、母が買う洋服を我慢して着るしかなく、お小遣いは自分だけもらえなかった。

大学生になってアルバイトでお金を手に入れ、ようやく自分らしい装いができるようになった。

07「FTM」の存在を知る

もし、男の体に生まれていたら

「FTMという性自認を持ったのはいつ?」と聞かれても、はっきりとは答えられない。

だが、物心ついたときにはすでに「男の子に生まれたかった」という気持ちがあった。

「もし男の体に生まれてたら、弟みたいに可愛がられたのかな? 勉強もさせてもらえるし、大学も自由に行けるしよかったのかな?
って思ってました」

「お母さんがとにかく憎かったし、『女に産んだお母さんが悪い』って思ってたし」

「お母さんは、『こんなの産んだ覚えない』『勝手に出てきた』って言ってましたけど(苦笑)」

男の体になりたい。
男が羨ましい。

自分の体に抱く激しい嫌悪感にも悩まされ続けた。

それでも、子どもの頃は手術という選択肢があることを知らず、諦めるしかないと思っていた。

初めて知った、自分以外のFTM

転機は、FTMの虎井まさ衛さんの書籍『男の戸籍をください』を図書館で発見したこと。

「男から女になる人はテレビでも見かけてたけど、“逆” はないと思ってたので、その本で初めて知ったんです」

「ああ、こういう人は他にもいるのかって」

手術して男の体を手に入れた虎井さんに、憧れのような感情を抱いた。

「痛いのが大の苦手だから、傷口が膿んだり、傷跡が残ったりって話がすごく怖くて。だから最初は、手術しようとは思わなかったんですけど」

しかしその後、日本で初めて、女から男への性別適合手術が行われたと知る。

「その頃は情報が乏しかったから、海外でやるのは怖いと思ってた。けど、日本の手術なら技術レベルも高いかもしれないと思って、アルバイトで費用を貯めました」

手術に対する葛藤

性別適合手術のために必死で働き、数百万円もの費用を貯める。

だが、いざ手術しようと思うと決心がつかなかった。

傷が残るし、後遺症も現れるかもしれない。
ひょっとすると、治療の副作用で長生きができないかもしれない。

「そんな気持ちもあったし、結局、手術しても完璧な男にはなれないんだなってわかって」

「完璧な男の体じゃないならいらないし、中途半端なままだと、女の体よりもかえって生きづらくなると思ってやめました」

当時は今のようにサポートしてくれる先がなく、ひとりで手術を受けるのが不安だったのも理由だ。

また、GID(性同一性障害)の診断書がないと手術できないことにも納得がいかなかった。

自分のことを病気だとは、今も昔も思っていない。

生まれ持った体のままで生きていく覚悟を決めた。

08やっと手に入れた夫は “バディ”

就活で知った社会の現実

大学卒業後は教員を志望していたが、当時は教員の数が余っており、募集がなかった。

代わりに、語学力を活かせる大手旅行会社への就職を決める。

「当時は中国がブームだったので、中国語を話せる添乗員が求められてて」

「けど、短い髪で面接に行ったら、『髪伸ばしてね、お客さんはホステスを求めてるんだから』って言われたんです」

「すっごいショックだったけど、入りたくて『伸ばします』って答えたら採用されました」

「でも、やっぱり研修中に嫌になっちゃって。専門学校の教員の求人を見つけたから、そっちに行きました」

今思い出しても、面接での言葉は消化しきれない。

夫との出会い

現在の夫と出会ったのは、社会人になってしばらくした頃。

「彼は全国転勤のある公務員で、東京に出向してたんです。友だち同士でご飯を食べたときに知り合いました」

プロレス好きで、父と同じ公務員。
なんとなくウマが合い、しばらくすると向こうから交際を申し込まれた。

「そのときはすでに男の格好してたし、『なんで私?』ってびっくりしましたね(笑)」

生まれてから現在に至るまで、他人に恋愛感情を抱いたことはなかった。

「昔から、女友だちが『誰々くんがかっこいい』とか言うのも、恋愛ドラマも、さっぱり理解できなくて」

当然、夫にも恋愛感情は抱かず、肉体関係もない。

「昔は結婚も嫌だったんです・・・・・・。夫・妻だと私が妻になるし、名前も自分が後に書かれるし」

「ああ、女なんだなって自覚させられますよね」

だがそれよりもずっと、ひとりで生きていく不安の方が大きかった。

いつしか、結婚は「生きていくためにせざるを得ないもの」と考えるようになった。

「とはいえ、私はちゃんとした女の子じゃないし。男の人に寄り添って可愛がってもらえるような人間じゃないから、半分諦めてたんです」

「そしたら主人から、出会って4か月で『結婚しよう』って言われて。『今しかない』『この人しかいない』って思って、決めました」

二人らしいあり方

結婚後は夫の姓に変えたが、生まれ持った苗字を変えるのには抵抗があった。

「田口は旧姓なんです。職場と役所以外では、今も常に田口を名乗ってます」

「苗字に関しては私が折れたけど、主人には本籍地を私の方に変えてもらいました。平等にしたくて」

結婚式も挙げた。
父や夫の親族のことを考え、我慢してドレスを着る。

「コスプレみたいな感覚でしたね(笑)。女の子はいつもこんな化粧するのか、大変だなって」

実の母は、結婚式に来てくれなかった。

「主人が母の着物を式場に用意してくれたんだけど、来ませんでした」

「それどころか、実家のカレンダーを見たら、私の結婚式の日に『ママ欠席!』って大きく書いてあって(苦笑)」

「『あんたはもううちの子じゃないから』って、私の写真や書道の作品も捨てられたんです」

「・・・・・・悲しかったですね」

現在は、結婚して18年になる。

「手も握らないし、部屋もトイレも分けてて、結婚生活っていうよりは合宿所みたいですけど(笑)」

「これが私たちの普通だし、仲良くやってます」

「2人でプロレス観戦に行くし、家では、授業で使う教材を一緒に作ることもあります」

「恋愛感情はないけど、人間としては好きです。主人も同じ気持ちじゃないかな」

「俺よりかっこいい」と褒めてくれたり、髪型を真似されたり、ネクタイの貸し借りをしたり。

夫は、ありのままの自分を受け入れてくれている。

「主人は普通の男性なので、なんで私と結婚したのかは今でも疑問ですね。私についてどう思ってるのかも、いつかは聞いてみたいです」

09教員としての使命

日本語学校の教員に

専門学校の教員の後は、中国語の通訳、中高の教員などを経験。

現在は、留学生向けの日本語学校で教員として働いている。

「日本語がゼロの生徒に、『あいうえお』から教えてます」

授業時間は “真剣な遊びの時間” だと考えている。

「椅子にしばりつけて『ずっと座ってなさい』っていうのが、私自身嫌いだったので」

「だから絵を描いたカードを使ったり、おもちゃを持って行ったり。いろんな工夫をして、わかりやすく楽しい授業にしてます」

楽しく、ゲーム感覚で学んだ方が絶対に身につくと思い、工夫を重ねている。

話しかけやすいのか、勉強以外の話をしに来る生徒も多い。

「『先生カワイイ!』『ハンサム!』って写真を撮られたり、髪形を真似されたりすることもあって(笑)」

生徒たちと初めて顔を合わせるときには、自分の容姿に驚いた顔をされることもある。

「でも、みんな一緒でなくていいんだよってことを体現する、 “動く資料” みたいなものでいられたらなって」

「生徒たちもこれから、いろんな人に出会うので。『あんな先生もいたな』って思い出して、いろんな意見を聞ける人になってほしいですね」

目指すのは「生徒に寄り添える先生」

専門学校、中高、語学学校の教員として働くなかで、さまざまな事情を抱えた生徒と出会ってきた。

「語学学校の生徒には、生活のために夜勤のアルバイトをしていて、すごく疲れている子も多いんです」

「中学校の教員時代は、ボロボロ泣いてる子に声をかけたら『実は家族が大変なことになってて・・・・・・』と打ち明けてくれたこともあって」

「そんな子たちの事情も聞かず、授業中に寝るな、メールチェックするなって叱るなんて、おかしいじゃないですか」

そのため、生徒たちとは授業以外の場面でも積極的に関わり、それぞれの事情をくみ取れるよう心がけている。

「普段から関わっていれば、生徒の変化に気付けるから」

「授業中座らせっぱなしじゃなく、ゲームなどを取り入れているのは、生徒のその日の調子をよく見るためでもあります」

生徒たちが抱える事情をくみ取って、柔軟に対応できる教員でありたい。
生徒一人ひとりの個性を生かし、伸ばすような教育を行いたい。

そんなおもいは、生徒たちにも確かに伝わっている。

「昔、国語を教えてた生徒に、『初めて国語で100点取れました!』って言われたり、今でも昔の生徒から年賀状が届いたり。嬉しいですね」

10「私は私」と言える人生に

かつての自分に、手を差し伸べたい

「大人はよく、簡単に『何かあったら相談して』って言うじゃないですか」

「けど、実際は言えないんですよ。私だって、お母さんにいじめられてても、誰にも言えなかった」

子どもが大人に悩みを相談するのが難しいことは、痛いほどわかっている。

だからこそ、自分から気付いて手を差し伸べるのが、一人の大人としての責任だと思う。

高校に入るまでは周りの大人に恵まれず、つらいおもいを誰にも相談できなかった。

そんな自分も、今では教員としてたくさんの生徒に寄り添っている。

「自分の体がすごく嫌だったけど、中途半端でよかったって思うことも今はあるかな」

「女の子が体調不良のときも、ちゃんとケアしてあげられるから」

「教員の仕事がすごく大変なのはわかってる」

「だけどやっぱり、どの学校でも教員自身がいろんなことを勉強して、子どもたちのつらさに気付いてあげられるようになってほしいですね」

母の呪縛からの解放

「お母さんに関しては、もういないものだと思ってます」

「今後何があっても手伝わないし、関わらない・・・・・・。でもそれでいいかなって」

「殴られはしなかったけど、されてきたことは暴力と同じだったから」

幼少期からの事情を知らない人からすれば、冷たく聞こえるかもしれない。
しかし、そこには綺麗ごとでは済まされないおもいがある。

「ただ、そう意識するようになってからは、まず親から自立しなきゃいけなかったから大変でした。いっぱい勉強して、働いて」

今では自分の生活を成り立たせられるようになった。
やっと母の呪縛から解放された。

自信を持って「私は私」と言えるようになった。

「子どものときは本当につらかった。けど、『将来こうなりたい!』って気持ちを強く持って、それに向かって努力することで私は支えられてきたんです」

「だから、今つらい思いをしている子には目標を持ってほしいと思う」

「目標に向かって頑張れば、今がどんなにつらくても前向きに進めるのかなって」

家族は仲良くしなければならない。
女は女らしくいなければならない。

そんなステレオタイプはなくなってほしい、という思いもある。

「どんな家庭環境で育っても、男でも女でも関係なく、それぞれの人が個性を伸ばして生きられる社会になればと思います」

母に愛されず、 “女の子” としての自分を肯定できず苦しんだ。

けれど今は、信頼し合える夫と暮らし、やりがいのある仕事に打ち込んでいる。

人生の中で、今が一番楽しい。

「親に愛されなかったり、性別で悩んでたりすると、『自分はひとりぼっちなんだ』って思っちゃうかもしれない」

「けど、ずっとひとりぼっちじゃないから」

「生きてると、何が起こるかわからないよ。うちの主人みたいなのが、ふいに転がってくるかもしれないしね(笑)」

あとがき
都内で開催したLGBT講座に、サプライズで参加してくれた真由美さん。満面の笑みで、手作りの美しいボールペンのお贈りものを抱えて。真由美さんは、贈りもの上手だ。明るい笑顔、元気のでる言葉、優しい配慮・・・無限だと気づく■日常を超えたニュースばかりの今年の春。これまでの[当たり前]を見直したい。気にも留めない[普通]だったことは、なんだろう? 学校でのこと、仕事でのこと、家でのこと。たくさんの人が支えてくれるこの世界のこと。(編集部)

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