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「ゲイだって知ってたよ」。カミングアウトで知った家族の絆【後編】

「ゲイだって知ってたよ」。カミングアウトで知った家族の絆【前編】はこちら

2018/11/23/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Sui Toya
加納 晶 / Akira Kanoh

1977年、岐阜県生まれ。聴覚障害者の両親と、健聴者の姉の4人家族。高校時代からろう劇団で役者として舞台に立ち、メーカー、印刷会社での勤務を経て、30歳で上京。38歳のときにOUT IN JAPANプロジェクトに参加し、それをきっかけに、両親や会社など周囲へのカミングアウトを決めた。現在は、会社員として働きながら、自分の思い描くカフェを始めるための準備を進めている。

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INDEX
01 家族3人が聴覚障害者
02 両親との関係
03 教室での人知れぬ努力
04 いじめを受けた2年間
05 セクシュアリティの自覚
==================(後編)========================
06 自分は変じゃない
07 姉はゲイだと知っていた
08 上京の決意
09 母へのカミングアウト
10 僕らの活動は、未来のためにある

06自分は変じゃない

手話サークルが息抜きの場所だった

高校は、地元の公立校を選ぶ。

「周りの4つの中学から人が集まる、生徒数の多い共学の高校でした」

「僕と同じ中学校から進学した人は少なく、またしても孤立してしまったんです」

引っ込み思案だったこともあり、3年間、友だちをつくれなかった。

つくりたくても、つくれなかった。

「昼休みはいつも、一人でご飯を食べていましたね」

「高1のときは陸上部に入りましたが、友だちもできずつまらないので、辞めてしまいました」

その頃、両親が参加していた聴覚障害者の会議やイベントがあると、ついて行った。

「手話での会話は、その頃の僕にとって、息抜きできる時間でした」

「夜、手話サークルに行く予定があると、それを楽みに一日を過ごすことができましたね」

「薔薇族」を知って世界が広がった

高3のとき、たまたま見ていたテレビで「薔薇族」という雑誌の存在を知った。

今は廃刊になってしまったが、ゲイの情報を発信する、稀少な雑誌だった。

「薔薇族の存在から、男性同士が好きになる世界があると、初めて知ったんですよ」

「自分はやっぱりみんなと違う。でも、変なことじゃないんだ、って思いました」

「良かったっていう気持ちが大きかったですね」

しかし、両親には打ち明けられなかった。

小さい頃から、母に「男は男らしく」「強くがんばって」と言われることが多かったから。

テレビの前で横座りをしていると、祖母から「おかしいでしょ、男の子なのに」と言われることもあった。

高校生になると、父から「26歳までに結婚すること」と言われるようになった。

「自分のセクシュアリティをやましいと思うことはありませんでした」

「でも、家族にバレたくないという気持ちは大きかったですね」

「知られたら、家族に落胆されるだろうと思ったんです」

当事者との文通

雑誌・薔薇族のことを知った頃、家ではまだ、インターネットが使えなかった時代。

自分と同じセクシュアリティの人と友だちになる方法を、読みあさり検索する。

「当事者のコミュニティで知り合った人と文通していました」

「相手は、健聴者の男の子です」

聴覚障害の当事者と知り合えたら楽しいだろうなと思っていた。

しかし、聴覚障害者の世界は狭い。

「両親や同世代の友人にバレるリスクが高いと思ったんです」

「だから、まずは健聴者のゲイの友だちをつくろうと考えていました」

07姉はゲイだと知っていた

「薔薇族」を買いに

高校の卒業式が終わった数日後、はじめて「薔薇族」を買いに行った。

近所にも書店があったが、わざわざ家から1時間もかかる遠くの書店まで、自転車を走らせた。

「大学生くらいの女性がレジに立っていて、渡しづらいなと思い、しばらく店内をウロウロしましたよ(笑)」

「結局、ほかの本と本の間に紛れ込ませて、レジに向かいましたね(笑)」

やっと手に入れた薔薇族を開くと、そこには今まで知らなかった世界が広がっていた。

「すごく勉強になりました」

「男性同士のセックスの仕方なども知らなかったので、ひたすら読んで覚えようとしましたね」

ゲイだと姉にバレてた!

家族に見つからないよう、雑誌を紙袋に入れてテープを貼り、机の奥のほうにしまい込んでいた。

姉が密かにそれを見つけていたと知ったのは、数年後のこと。

「あるとき、姉は探し物をするために、実家の僕の部屋に勝手に入ったそうです」

「そのとき、隠していた文通の手紙を全部見つけたって」

文通の手紙もすべて読んだらしいが、当時、姉は何も言わなかった。

姉から「知ってたよ」と言われたのは、25歳のときだ。

「25歳のとき、転職を考えて、これを機にひとり暮らしをしたいと姉に相談したんです」

「そのときに、『好きな男の子のとこに行きたいからじゃないの?』って聞かれたんですよ」

「びっくりしてそれで、バレてたんだなって気づいたんです」

否定せず理解してくれた姉夫婦

驚いて「何で知ってるの?」と聞いた。

「あんたが18歳のときに、部屋に入って文通を見つけちゃった」と、姉は正直に話してくれた。

「中学生のとき、姉に恋愛相談をしたこともあったんです」

「そのときは、女の子が好きだと伝えていたから、ショックを受けたみたいですね」

文通を見つけた当時、姉は20歳。
すでに結婚していた。

「どうすればいいかわからなくて、旦那さんに相談したそうです」

「そうしたら、旦那さんから『いまの時代、ゲイなんて当たり前。おかしくないよ』って言われたって」

「それで、姉も理解して、すんなり受け入れることができたと言ってました」

「僕にとっては、身内に初めて自分のセクシュアリティを明かした瞬間でした」

「否定せずに、理解してくれたのはありがたかったですね」

08上京の決意

最初で最後の女性の恋人

中学校でも高校でも、10代の大半を独りで過ごしてきた。

ゲイコミュニティに参加するようになってから、やっと自分の人生を楽しむことができるようになった。

「実は、社会人になってから、一度女性と付き合ったことがあるんです」

「出会い系サイトで知り合った人で、2つ年下の人でした」

「何度かやりとりをした後、告白されて、付き合うことになったんです」

しかし、デートのときに手をつないだり肩を組んだりすると、どうしても違和感があった。

努力したけれど、自分に嘘をついて隠していくのは、どうしても耐えられなかった。

「自分の時間を趣味に費やしたいからなどと言って、お別れしました」

「男性が好きとは言えず、ちょっと言い訳がましくなっちゃいましたね(苦笑)」

初めて男性と付き合ったのは、25歳のとき。

当時、地元の岐阜にはLGBTが集まる場所がなく、名古屋のバーなどに行っていた。

「そういったバーでいいなと思う人と出会い、付き合い始めたんです」

岐阜から東京へ

その当時勤めていたのは、名古屋に本社のある印刷会社だった。

「高校卒業後に入った会社では、車のタイヤのバネをつくる仕事をしていました」

「給料も良かったし、環境的にもいい会社でした」

「周りのみんなに羨ましがられたけど、僕は流れ作業がどうしても好きになれなかったんです」

新卒で入った会社を1年で辞め、興味のあったIT関係の仕事を探した。

しかし、地元ではIT関係の会社がなかなか見つからなかった。

「それで、印刷会社に入社したんです」

「その会社では約10年働きましたが、僕が30歳のときに倒産してしまったんです」

それをきっかけに、上京することを決めた。

「東京には、昔から憧れがあったんです」

「すごくミーハーな理由ですけど、東京なら芸能人に会える確率が高いんじゃないかと思ったんですよ(笑)」

「それに、自分を変えるための刺激を求めたくて・・・」

「運が良かったのか、すぐに東京の会社に採用されて、上京することになりました」

恋人との距離

岐阜にいたときから仲良くしていたゲイの友だちが東京で暮らしていたため、不安はなかった。

「上京したら、彼に会える頻度が増すかもしれない、という気持ちもあったと思います」

その人とは後に恋人関係になり、4年ほど付き合いが続いた。

「一緒に住んではいませんでしたが、近所に住んでいました」

「いつでも会える距離のほうがいいなと思って」

「けっこう、相手に合わせるタイプなんですよ。それで損することもあるんだけど、好きな人の要望を断れないんです(笑)」

上京した後、初めて新宿二丁目にも行った。

「一人では行く勇気がありませんでしたが、友だちに連れて行ってもらいました」

09母へのカミングアウト

10年間の劇団活動

高校時代から、ろう劇団に入っていたが、上京と同時に退団した。

「通っていた高校で、聴覚障害者の女性の講演があったんです」

「講演が終わった後、先生から『今すぐ校長室に行って』と言われました」

「校長室で女性と挨拶させてもらったときに、その女性が自分の母親の同級生ということを知ったんです」

岐阜のろう劇団の代表を務めていた彼女から、「公演のための人数が足りないから、手伝ってほしい」と言われた。

通常の演劇と同じように、台本どおり手話を覚えて、舞台に立つ。

「本当は、1回だけ手伝って辞めるつもりでした」

「でも、なんだかんだ引き止められて、10年間在籍しましたね」

「舞台に立ったおかげで、人見知りが解消されたと思います」

セクシュアリティをオープンにする覚悟

岐阜では、親にバレることを恐れて、なかなかLGBTの活動ができなかった。

しかし、ここ3〜4年は、聴覚障害者のLGBTの活動に積極的に参加している。

「仲間の紹介で、活動の場が広がっていきました」

「いろいろな団体を紹介してもらった結果、今の僕があるといえます」

「中でも、OUT IN JAPANで写真を撮ってもらったことは大きかったですね」

OUT IN JAPANの撮影の後、聴覚障害×LGBTのDVD「11歳の君へ ~いろんなカタチの好き~」への出演が決まった。

それをきっかけに、会社でも自分のセクシュアリティをオープンにすることを決めた。

「個人面談の際、上司に『この会社でずっと働くつもりはありません』と伝えたんです」

「実はゲイだと話し、LGBTの活動にもっと力を入れたいと打ち明けました」

それを聞いた上司は、「別に自分は違和感ないよ。そういう人がいるのは当たり前で、おかしくない」と言ってくれた。

その後、センター長や社長とも面談の機会があり、そこで自分のセクシュアリティを包み隠さず話した。

「みんな理解してくれて、『おかしいことじゃないよ』と言ってくれましたね」

カミングアウト「あなたの人生だから」

OUT IN JAPANの撮影のあと、両親にも自分のセクシュアリティをオープンにすることを決めた。

「写真を母にメールで送ったところ『モデルに転向したの?』と言われたんです(笑)」

「帰ったときに詳しく話すねといって、そのときは曖昧に濁しました」

「その後、岐阜で知り合いがLGBTの講演をするというので、見に行ってもらったんです」

講演の感想を聞いたところ、母からは「LGBTといっても、同じ人間じゃない」「違和感はないよ」と言われた。

「そのあと実家に帰って、写真を見せながら、『これはLGBTのカミングアウトのためのプロジェクトなんだよ』と伝えたんです」

「実は、僕もゲイなんだよって言いました」

母は「やっぱりね」という顔をしていた。

今まで女の子を紹介されたことが一度もなかったから、薄々勘づいていたそうだ。

「それでも、最初はやっぱりショックだったみたいですね」

「孫の顔を見られないって」

「母に、ごめんね、って伝えたら泣いていました」

でも、母は最後に言ってくれた。

「あなたの人生なんだから、幸せならそれでいい」

10僕らの活動は、未来のためにある

父のおもい

母にカミングアウトした後、DVDの撮影のため、再び実家に帰った。

本当は、母と2人で撮影を行うつもりだった。

「いざ撮影をしようと思ったときに、父が部屋に入ってきたんですよ」

「『俺は出ないのか?』って言い出して(笑)」

「撮影の内容も話していないし、カミングアウトもしてないし、焦っていたら、母と目が合いました」

そのときになって初めて、すでに母から父へ説明をしてくれていたと知った。

「早く言ってよ、って感じだったんですけどね(笑)」

「父には、顔も出ちゃうし、DVDになって残っちゃうんだよ? って話しました」

「そうしたら、『いいよ。気にしない』って言ってくれて」

「それで、3人で撮影したんです」

撮影の後、父と話をする中で、「母に聞く前から知っていた」と言われた。

何か証拠を見つけたわけではなかったけれど、行動を見て薄々気づいていたらしい。

「昔は父のことが苦手でしたが、撮影後は、関係が良くなった気がします」

「会話もするようになりました」

「親って、見ていないようで、子どものことをちゃんと見ているものですね」

聴覚障害者の情報格差

現在は、会社員だ。夏には、海辺にあるLGBT団体が企画するカラフルカフェの手伝いもしていた。

「もともと料理が好きだったし、人が喜ぶ顔を見るのが好きだったんです」

「仕事をしながら、恵比寿にある調理学校にも通いました」

「まだ準備段階で、しばらく本格始動はできませんが・・・・・・」

聴覚障害者は、聴こえる人よりも、情報を集めるのに時間がかかる。

耳から入る情報というのは、それだけ多いのだ。

「地震などの自然災害や、電車の事故が起きたとき、聴覚障害者は反応が一歩遅れるんです」

「人の流れに沿って、勘で動かなければいけないこともあります」

「何が起きたかわからないときは、とにかく周りに聞くしかないですよね」

LGBTに関しても同じことがいえる。

聴覚障害のLGBT団体があるという情報を得られずに、悩んでいる人も多いだろう。

「そういう人に向けたイベントを開いていきたいし、そこで料理を提供するのが今の夢です」

「上京したからつながれた人も多い。地方はまだまだ情報格差があると感じます」

「今後は、LGBTが自然とつながれる場を、地元にもつくれればいいですね」

10代の自分と今の自分は地続だ

この先、何ができるか考えるとき、目に浮かぶのは、決まって10代の自分の姿だ。

「中学生のときにいじめに遭って、本当につらい日々を過ごしました」

「でも、あのとき学校に通い続けなければ、きっとその先の人生も変わっていたはず」

「つらい気持ちに負けなかったから、今の自分がいるんだと思います」

10代の自分にもし会えたら。

「悩まなくていいよ」「そのまま生きたらいいよ」と言ってあげたい。

それは、いじめやセクシュアリティに悩む、すべての10代に言ってあげたいことでもある。

「そんなに簡単に、社会は変わらないけど、LGBTの認知も昔に比べればどんどん広がっています」

「20年後には、LGBTという言葉自体がなくなっているかもしれません」

「いろいろな障がいも同じ。聴覚障害者、健聴者という区分けがなくなり、みんなが自然に生活できる世の中になればいい」

セクシュアルマイノリティにも、ひとりひとりの生き方にすべてが輝ける希望と未来を。そして、自分らしくありのままに生きること・・・・・・。

それが本当の輝きだ。

「そうした未来のために、自分たち大人が、いまがんばって活動しているんです」

あとがき
「どうにか乗り切った・・・」。いじめに負けない! と心に誓って、勇気をかき集めた晶さんの少年時代。私たちへの気遣いからか、晶さんはとても落ち着いた表情で伝えてくれた■異なるものを受け入れられない? いじられないように? ストレス解消? いじめの原因はさまざまだけど、どうか、居場所や助けをくれる人に出会うまで、一人にならないで欲しい。「僕たち大人が、少しずつ世の中をよくしていくからね。安心して大人になって」。晶さんと一緒に伝えよう。(編集部)

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